鬼平犯科帳(松本幸四郎)と夜の闇の深さ

先日、午前中から雨で動けなくなり、昼過ぎにようやく起きた。

ふとテレビをつけたら、某ローカル放送でモノクロの「鬼平犯科帳」を放映していた。

うわあ、と思った。

当然のことながら、オレは初見である。

そのまま見続けることができず(また眠くなった)、テレビの録画ボタンを押した(オレのテレビは外付けHDDに番組録画するタイプ)。

どうやら平日の昼間、毎日放送しているらしい。

そのまま連ドラ予約もしたので、翌日、翌々日も録画しておいたものを見た。

やはり、えーと、50年近く前?の作品だけあり、役者さんの所作がきちんとしているように思う。

茶店の店先に町人姿の盗賊2人が座り、懐から煙管を出す。

自然に身に着いた日常の動作。堂に入っている。

当時は原作者である池波正太郎氏もご存命であったことから、色々と指導もされていたことだろう。

池波氏は舞台脚本、演出を経て小説家になられた方で、役者の演技にも細かいことをおっしゃっていたようだ。

ご本人の随筆に「剣客商売」の舞台を見た後、大治郎を演じる加藤剛さんに「この箇所では1段上に上がって」と話したとあったと記憶している。

きっと役者の細かい仕草も本当は気にしていらしたのではないだろうか。

よほどのことが無い限り、口に出したりなさらなかっただろうが。

また、モノクロの画面は、闇が深い気がする。

江戸時代の夜は、今と違い、街灯やネオンサイン、家々の灯りなどなかった。

だから、夜の闇は我々が感じるよりもずっと深かったはず。

モノクロ作品でもカラー作品でも、撮影時はかなり明るくしたはずだが、モノクロだと闇の部分が本当に真っ暗に見える。

東日本大震災後、オレが住む辺りは計画停電があった。

確かに、自宅の電気は止まったし、自宅内はろうそくの火を灯したが、そもそも隣の区域が計画停電の対象外だったらしく、外は明るかった。

オレくらいの年齢以下の日本人は、本当の夜の闇を知らないのかもしれない。

江戸時代は遠い昔だし、その頃の方が現代よりも良かったなどとは微塵も思わないが、夜の闇を知らない生活が生き物としての人として良いことなのか、ちょっと気になったりする。

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