最近になって思い出す「父との思い出」
亡父の近くというわけではなく、何か特別な日が近いということもない。
ただ、最近、妙に幼い頃の亡父との思い出が脳裏に蘇ってくる。
亡父は仕事人間ではなかったと思う。
むしろ、自分勝手で自分の好きなことをしていた。
おだてられたら木にでも登ってしまうのだろう。
若い頃は誘われたら転職し、晩年は誘われたら株を買ったり、自費出版したり、自宅を改装したりしていた。
亡父との思い出は、数えられるくらいにしかない。
だからこそ、鮮明に思い出せるのだと思う。
瀬戸内海のある島に、会社の保養所があった。
家族旅行でそこに泊まったことがある。
保養所の庭にプールがあり、そこで泳いだ。
当時の私はまだ泳げなくて、何かにつかまっていた。
側を父が泳いでいて、その父につかまろうとして手を伸ばして、つかまっていた物から手を離した。
それが初めて泳げるようになったきっかけだった。
おそらく、母が妹と病院に出かけたのだろう。
父が私を天王寺動物園に連れて行ってくれたことがあった(当時、大阪に住んでいた)。
動物園でのことは覚えていない。
ただ、小豆色の阪急電車に乗り、父の側に立っていたことを覚えている。
父が私を連れて外出したことは、私の記憶では数回しかない。
よほど嬉しかったのだろう。
もう1回は、やはり大阪の梅田で映画を観たことだ。
母が言うには、父は映画鑑賞の趣味などなかったそうだから、その映画を私に観せたかったのだろう。
ディズニーの「ファンタジア」である。確かに素晴らしい映画だ。
後年、私はLDを買い、DVDも買った。
外出とは違うと思うが、おそらく、大阪に転居した時だろう、大阪の千里中央という駅の店でお好み焼きを食べたことがあった。
これも、よほど珍しかったのだろう。おおよその店の場所まで覚えている。
数年前、大阪に日帰りで行った際に店を探してみたが、それらしい店は無かった。
父は、子供舌で、ケチャップ味、甘い味、醤油味、挽肉料理が好きだった。
ソーセージやミートボール、ハンバーグ、スパゲティ、焼きそば、カップ麺などが好きだった。
今もあるのか知らないが、某菓子メーカーのレーズンサンドというお菓子が好きで、我が家には父が買い置きしていた。
レーズンパンや砂糖衣をかけた菓子パンが好きだった。
悪いとは思うが、オレは父のような晩年を送りたくない、と心の底から思う。
自分自身に満足して、孤独なままに死にたいと心底思うものである。
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