日本語の安心感
コンピューター関連の仕事を生業としていると、どうしても英語の文献や英語のソフトウェアを使わないといけなくなる。
これが、嫌。
英文は自分の脳内で日本文に変換せずに読む習慣があるので、そこそこ読める方だとは思う。
思うけれど、分からない単語が多いし(年々英単語を忘れていくし)、分からない単語が文の要点を担っている場合は、その文章の大意すら掴めなくなる。
とはいえ、英単語の意味を引くのは嫌いだ。
面倒ということもあるが、文章を読んでいる途中で「単語を引く」という別作業が入ると流れが途絶えてイラッとするのである。
そして、英語のみのソフトウェアは.........途中で使うのを止めたくなる........
なぜ、このようなことを書いているかというと、昨夜のことがあるからだ。
オレはWindowsXPのPCを何台か持っている。
それをUbuntuというOSに変えようとしている。
とりあえず、有線LAN接続のデスクトップ機から始め、無線LANのラップトップ、無線LANのノートへと広げようと考えている。
勉強、ということもあるが、何より勿体ないからね。
そこで、昨日の昼から有線LANのデスクトップPCにUbuntuを入れてみた。
Ubuntuは本来英語版しかない。
多言語化対応はされているが、そのためには有志が日本語版を開発し、それらをまとめたパッケージがインターネット上で無料配布されている。
これを使ったのだけれど.......英語じゃん......
これは当然のことで、元々は英語版なのであるから、日本語機能を有効にしないといけないのであるな。
しかし、とりあえずは英語版で作業........使い難い.......
これはオレがUbuntuに慣れていないからではないだろうか?オレはずっとWindowsを使っているし、少しはMacも使っているけれど、やはりWindowsの方が使い慣れているし、などと思ってはいた。
思っていたが、次第にイラついてきた。
何とか日本語設定をして、ソフトウェアのアップデートをして、再起動して、ようやく日本語の画面が現れた。
画面のあちらこちらに表示されるメニューの文字が日本語である。
それを見た時の安心感!!!
こういう些細なことに、自分がとことん日本人だと思ってしまうのだよねえ。
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